うま藻 × プロフェッショナル

美味しさを繋ぐ現場へ

私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。
業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。
そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。

美味しさを繋ぐ現場へ

第五回対談  H1 シェフ  堀江 徹哉 氏

第五回対談 H1 シェフ 堀江 徹哉 氏

うま藻 × プロフェッショナル美味しさを繋ぐ現場へ 私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。 美味しさを繋ぐ現場へ 第五回対談H1 シェフ 堀江 徹哉 氏 第五回うま藻ジャーナルは、恵比寿のイノベーティブ・イタリアンの旗手H1の堀江シェフ。イタリア屈指の名店で修行し、食材を一皿へのアートへと落とし込む気鋭のシェフに第五回インタビューを受けていただきました。 プロフィール H1 / 堀江 徹哉 シェフ1988年生まれ神奈川県出身。 中学の頃から、シェフである父に正統派フランス料理の手ほどきを受け、 都内で修行後24歳で渡伊。イタリアの三つ星「レ・カランドレ」(ヴァネト)、二つ星「アッリ・アミーチ」(フリウリ)で計4年半修行。他、5年間に渡って北欧、クロアチアなどヨーロッパ各地のレストランで研鑽を重ねた。その後帰国し、2020年に神楽坂「H accca」のシェフに就く。2021年10月、名前を「H」(アッカ)に変え、恵比寿に移転。 高田 : 本企画では、シェフの過去と今、そしてどういう未来を目指したいかをお伺いしています。そして、堀江シェフの未来に、うま藻がどう役立てるかも併せてお伺い出来れば幸いです。まずはなぜ、堀江シェフがシェフになられたのか、お伺いさせて下さい。 堀江 徹哉(以下 堀江): 父がフランス料理をやっていて、飲食の会社を何店舗か経営していた。その背中を見てきたから、というのが大きな理由だと思います。 高田...

第五回対談 H1 シェフ 堀江 徹哉 氏

うま藻 × プロフェッショナル美味しさを繋ぐ現場へ 私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。 美味しさを繋ぐ現場へ 第五回対談H1 シェフ 堀江 徹哉 氏 第五回うま藻ジャーナルは、恵比寿のイノベーティブ・イタリアンの旗手H1の堀江シェフ。イタリア屈指の名店で修行し、食材を一皿へのアートへと落とし込む気鋭のシェフに第五回インタビューを受けていただきました。 プロフィール H1 / 堀江 徹哉 シェフ1988年生まれ神奈川県出身。 中学の頃から、シェフである父に正統派フランス料理の手ほどきを受け、 都内で修行後24歳で渡伊。イタリアの三つ星「レ・カランドレ」(ヴァネト)、二つ星「アッリ・アミーチ」(フリウリ)で計4年半修行。他、5年間に渡って北欧、クロアチアなどヨーロッパ各地のレストランで研鑽を重ねた。その後帰国し、2020年に神楽坂「H accca」のシェフに就く。2021年10月、名前を「H」(アッカ)に変え、恵比寿に移転。 高田 : 本企画では、シェフの過去と今、そしてどういう未来を目指したいかをお伺いしています。そして、堀江シェフの未来に、うま藻がどう役立てるかも併せてお伺い出来れば幸いです。まずはなぜ、堀江シェフがシェフになられたのか、お伺いさせて下さい。 堀江 徹哉(以下 堀江): 父がフランス料理をやっていて、飲食の会社を何店舗か経営していた。その背中を見てきたから、というのが大きな理由だと思います。 高田...

第四回対談  IL TEATRINO DA SALONE シェフ  山本 鉄巳 氏

第四回対談 IL TEATRINO DA SALONE シェフ 山本 鉄巳 氏

うま藻 × プロフェッショナル美味しさを繋ぐ現場へ 私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。 美味しさを繋ぐ現場へ 第四回対談IL TEATRINO DA SALONE シェフ 山本鉄巳 氏 うま藻ジャーナル、第四回はまるで小劇場で観劇をしているかのように料理を楽しめるイタリアンレストラン、南青山のIL TEATRINO DA SALONEの山本シェフ。若くしてイタリアで経験を積み、食材と人にまっすぐ向き合う真摯なシェフにお話を伺いました。 プロフィール IL TEATRINO DA SALONE / 山本 鉄巳 シェフ1992年生まれ神奈川県出身。高校生で始めたアルバイトをきっかけにイタリア料理を志す。高校卒業後、国内のイタリア料理店3軒で計6年半修行した後、渡伊。2018年に一つ星を獲得したトスカーナ州「Cum Quibus」にて勤務後、26歳で帰国。「バリラ マスターズ オブ...

第四回対談 IL TEATRINO DA SALONE シェフ 山本 鉄巳 氏

うま藻 × プロフェッショナル美味しさを繋ぐ現場へ 私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。 美味しさを繋ぐ現場へ 第四回対談IL TEATRINO DA SALONE シェフ 山本鉄巳 氏 うま藻ジャーナル、第四回はまるで小劇場で観劇をしているかのように料理を楽しめるイタリアンレストラン、南青山のIL TEATRINO DA SALONEの山本シェフ。若くしてイタリアで経験を積み、食材と人にまっすぐ向き合う真摯なシェフにお話を伺いました。 プロフィール IL TEATRINO DA SALONE / 山本 鉄巳 シェフ1992年生まれ神奈川県出身。高校生で始めたアルバイトをきっかけにイタリア料理を志す。高校卒業後、国内のイタリア料理店3軒で計6年半修行した後、渡伊。2018年に一つ星を獲得したトスカーナ州「Cum Quibus」にて勤務後、26歳で帰国。「バリラ マスターズ オブ...

第三回対談  さん葉か 料理長  井上翔太 氏

第三回対談 さん葉か 料理長 井上翔太 氏

うま藻 × プロフェッショナル美味しさを繋ぐ現場へ 私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。 美味しさを繋ぐ現場へ 第三回対談さん葉か 料理長 井上翔太 氏 うま藻ジャーナル、第三回は東神田のあそび割烹「さん葉か」の料理長、井上シェフ。華やかな割烹と楽しい時間を演出するプロフェッショナルにインタビューを受けて頂きました。 プロフィール さん葉か / 井上 翔太 料理長1988年、栃木県宇都宮出身。大学進学のため上京、東京ミッドタウンの日本料理『淡悦』でのホールアルバイトがきっかけで飲食業界に興味を持つ。その時に出会った仲間と一緒に将来の飲食店経営を決意。居酒屋・炉端焼き・和食店などで修行を積み都内居酒屋の料理長を務め上げた後、仲間が先駆けて開店していた「さん葉か」へ合流。料理長として、「和食」や「割烹」の枠に囚われず、美味しい・楽しい時間を割烹を通じてお届け中。 — どのような選択を重ねて料理人・井上翔太がありますか? 井上 翔太(以下 井上): 実は子どもの頃から両親が飲食店で働く姿を見ていて、当初は飲食店で絶対働きたくなかったんです。朝は早いし、夜は遅いし…。しかしなぜか、大学進学で上京した際のアルバイトで、父の働くお店の系列店だった東京ミッドタウンの日本料理『淡悦』を選んでしまいました。 その時に出会ったのが今一緒に丸一グループとして店を盛り上げる小峰太一(丸一総料理長)と市瀬健治(丸一代表、さん葉か店長)です。本当に多くのお客様に毎日ご来店頂いていたので、目の回るような忙しさでした。そこで、3人衝突しながらも仕事に励み寝食を共にし、もちろん仕事終わりには毎日一緒に飲み歩き、仕事の愚痴ももちろんですが(笑)、将来の夢まで語り合う仲になりました。 そんな彼ら2人との出会いから、一緒に店をやるという夢ができました。ポジション的に市瀬がホールと経営、小峰が総料理長、僕も必然的に「料理」となって、料理人という世界に足を踏み入れました。 — 旬の食材を生かした割烹と、それに合う日本酒、そして場を明るく和ます井上料理長の小話が私たちは大好きです。料理長として意識していることを教えてください。 井上 :...

第三回対談 さん葉か 料理長 井上翔太 氏

うま藻 × プロフェッショナル美味しさを繋ぐ現場へ 私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。 美味しさを繋ぐ現場へ 第三回対談さん葉か 料理長 井上翔太 氏 うま藻ジャーナル、第三回は東神田のあそび割烹「さん葉か」の料理長、井上シェフ。華やかな割烹と楽しい時間を演出するプロフェッショナルにインタビューを受けて頂きました。 プロフィール さん葉か / 井上 翔太 料理長1988年、栃木県宇都宮出身。大学進学のため上京、東京ミッドタウンの日本料理『淡悦』でのホールアルバイトがきっかけで飲食業界に興味を持つ。その時に出会った仲間と一緒に将来の飲食店経営を決意。居酒屋・炉端焼き・和食店などで修行を積み都内居酒屋の料理長を務め上げた後、仲間が先駆けて開店していた「さん葉か」へ合流。料理長として、「和食」や「割烹」の枠に囚われず、美味しい・楽しい時間を割烹を通じてお届け中。 — どのような選択を重ねて料理人・井上翔太がありますか? 井上 翔太(以下 井上): 実は子どもの頃から両親が飲食店で働く姿を見ていて、当初は飲食店で絶対働きたくなかったんです。朝は早いし、夜は遅いし…。しかしなぜか、大学進学で上京した際のアルバイトで、父の働くお店の系列店だった東京ミッドタウンの日本料理『淡悦』を選んでしまいました。 その時に出会ったのが今一緒に丸一グループとして店を盛り上げる小峰太一(丸一総料理長)と市瀬健治(丸一代表、さん葉か店長)です。本当に多くのお客様に毎日ご来店頂いていたので、目の回るような忙しさでした。そこで、3人衝突しながらも仕事に励み寝食を共にし、もちろん仕事終わりには毎日一緒に飲み歩き、仕事の愚痴ももちろんですが(笑)、将来の夢まで語り合う仲になりました。 そんな彼ら2人との出会いから、一緒に店をやるという夢ができました。ポジション的に市瀬がホールと経営、小峰が総料理長、僕も必然的に「料理」となって、料理人という世界に足を踏み入れました。 — 旬の食材を生かした割烹と、それに合う日本酒、そして場を明るく和ます井上料理長の小話が私たちは大好きです。料理長として意識していることを教えてください。 井上 :...

第二回対談  nuit シェフ  渡辺郁也 氏

第二回対談 nuit シェフ 渡辺郁也 氏

うま藻 × プロフェッショナル美味しさを繋ぐ現場へ 私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。 美味しさを繋ぐ現場へ 第二回対談nuit シェフ 渡辺郁也 氏 うま藻ジャーナル、第二回は中目黒の人気隠れ家フレンチ「nuit」の渡辺シェフ。27歳ながら人気店の食事を切り盛りする気鋭の若手シェフに、第二回目のインタビューを受けていただきました。 プロフィール nuit / 渡辺 郁也 シェフ1996年、群馬生まれ群馬育ち。高校時代のテニスクラブ合宿にて、OBが振る舞う料理に刺激を受け料理の道へ。外苑前のイタリアンレストランで3年、二子玉川のフレンチレストランで1年経験を積んだ後、フレンチビストロ「nuit」のシェフとしてカウンターに立つ才気あふれる若手シェフ。ベーシックをしっかりと押さえ、シンプルながらも華やかな優しさを感じさせる一皿に加え、ゲストの気持ちに寄りそう細やかな提案と、会話のキャッチボールも魅力。 — どのような選択を重ねて料理人・渡辺郁也がありますか? 渡辺 郁也(以下 渡辺): 子どもの頃、学校から帰宅後の1番の楽しみが夕飯の時間でした。夕飯の準備をする母の食材を刻む音、それを待っている時間に「幸せ」を感じていたと思います。その後、小学校高学年から料理を手伝うようになり、僕自身も料理を作ることが段々と好きになっていきました。 本格的に料理人を意識したのは高校生の時。シェフになっていた部活のOBが、合宿にてお料理を振る舞って下さった際に、プロの料理人という職業を初めて身近に感じました。これまでは、料理人の敷居は高く、とても厳しい世界というイメージを勝手に持っていましたが、歳の近い先輩が出してくれる料理を間近で見たおかげで、自分もやってみようかなと思うようになり、料理の道へ飛び込むことを決意しました。 — nuitのカウンターで料理を作る渡辺シェフは、とてもイキイキしていて、私たちも胸が高鳴る思いになります。料理人として特にやりがいを感じる瞬間は、どのような時ですか? 渡辺 : お客様が料理を美味しそうに食べている時の表情を見ると嬉しくなりますし、作りたいレシピの形が見えた時はとてもワクワクします。...

第二回対談 nuit シェフ 渡辺郁也 氏

うま藻 × プロフェッショナル美味しさを繋ぐ現場へ 私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。 美味しさを繋ぐ現場へ 第二回対談nuit シェフ 渡辺郁也 氏 うま藻ジャーナル、第二回は中目黒の人気隠れ家フレンチ「nuit」の渡辺シェフ。27歳ながら人気店の食事を切り盛りする気鋭の若手シェフに、第二回目のインタビューを受けていただきました。 プロフィール nuit / 渡辺 郁也 シェフ1996年、群馬生まれ群馬育ち。高校時代のテニスクラブ合宿にて、OBが振る舞う料理に刺激を受け料理の道へ。外苑前のイタリアンレストランで3年、二子玉川のフレンチレストランで1年経験を積んだ後、フレンチビストロ「nuit」のシェフとしてカウンターに立つ才気あふれる若手シェフ。ベーシックをしっかりと押さえ、シンプルながらも華やかな優しさを感じさせる一皿に加え、ゲストの気持ちに寄りそう細やかな提案と、会話のキャッチボールも魅力。 — どのような選択を重ねて料理人・渡辺郁也がありますか? 渡辺 郁也(以下 渡辺): 子どもの頃、学校から帰宅後の1番の楽しみが夕飯の時間でした。夕飯の準備をする母の食材を刻む音、それを待っている時間に「幸せ」を感じていたと思います。その後、小学校高学年から料理を手伝うようになり、僕自身も料理を作ることが段々と好きになっていきました。 本格的に料理人を意識したのは高校生の時。シェフになっていた部活のOBが、合宿にてお料理を振る舞って下さった際に、プロの料理人という職業を初めて身近に感じました。これまでは、料理人の敷居は高く、とても厳しい世界というイメージを勝手に持っていましたが、歳の近い先輩が出してくれる料理を間近で見たおかげで、自分もやってみようかなと思うようになり、料理の道へ飛び込むことを決意しました。 — nuitのカウンターで料理を作る渡辺シェフは、とてもイキイキしていて、私たちも胸が高鳴る思いになります。料理人として特にやりがいを感じる瞬間は、どのような時ですか? 渡辺 : お客様が料理を美味しそうに食べている時の表情を見ると嬉しくなりますし、作りたいレシピの形が見えた時はとてもワクワクします。...

第一回対談  てのしま オーナーシェフ  林 亮平 氏

第一回対談 てのしま オーナーシェフ 林 亮平 氏

うま藻 × プロフェッショナル美味しさを繋ぐ現場へ 私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。 美味しさを繋ぐ現場へ 第一回対談てのしま オーナーシェフ 林 亮平 氏 うま藻ジャーナル、第一回は和食「てのしま」の林シェフ。うま藻の隠れアンバサダーであり、美味しさを未来へ繋ぐ心強い同志として、記念すべき第一回のインタビューを受けて頂きました。 プロフィール てのしま / 林 亮平 オーナーシェフ1976年、香川県丸亀市生まれ、岡山県玉野市育ち。大学卒業後に京都の料亭「菊乃井」に入り村田吉弘氏に師事し、17年間務め上げる。2011年、上海万博の日本産業館内料亭「紫」料理長を務め、同年菊乃井本店副料理長に就任。2015年、菊乃井赤坂店渉外料理長となる。シンガポールエアラインの機内食開発やJR西日本「瑞風」のメニュー開発、国際会議や首相官邸での晩餐会の料理を担当。20カ国以上で和食普及のためのイベントに携わり2018年3月、東京・青山に「てのしま」を開店し独立。2019年より、4年連続でミシュラン一つ星を獲得。 — どのような選択を重ねて料理人・林亮平がありますか? 林 亮平(以下 林):大学卒業を見据え普通に就職活動をしている折、「やはり好きなことをして生きていく」と決心したことが料理人としてのスタートです。それから、和食の最高峰である京都にある料亭「菊乃井」に採用して頂き、本店の副料理長まで務めました。 その間、20以上の国や地域で和食を伝えるという機会の他、パリの最高級ホテルプラザ・アテネの「Alain Ducasse(アラン・デュカス)」で日本料理を出したこともあります。面白いことに、各地で出会う料理人は、必ずと言っていいほど数々の“問”をぶつけてきます。なぜ料理をやっているのか、なぜその料理なのか、出身はどこか、なぜ今ここにいるのか。その問いに対して、はっきりした答えがあるからこそ、料理にもそれが現れてきます。いいかえれば、世界で戦うということは、己の本質を表現していくことだと学びました。 和食という料理を通じて、今でも毎日、己の本質を表現していくある意味肉弾戦が続いています。笑 — 20年以上料理の世界に携わり、海の資源の持続性可能性について活動しているシェフの集まり “Chefs...

第一回対談 てのしま オーナーシェフ 林 亮平 氏

うま藻 × プロフェッショナル美味しさを繋ぐ現場へ 私たちは日々、うま藻を通じてプロフェッショナルの皆様と出会います。業態は違えど「美味しい」が続いていく未来を目指していることには変わりません。そんな彼 / 彼女らが見ている世界を対談形式でご紹介します。 美味しさを繋ぐ現場へ 第一回対談てのしま オーナーシェフ 林 亮平 氏 うま藻ジャーナル、第一回は和食「てのしま」の林シェフ。うま藻の隠れアンバサダーであり、美味しさを未来へ繋ぐ心強い同志として、記念すべき第一回のインタビューを受けて頂きました。 プロフィール てのしま / 林 亮平 オーナーシェフ1976年、香川県丸亀市生まれ、岡山県玉野市育ち。大学卒業後に京都の料亭「菊乃井」に入り村田吉弘氏に師事し、17年間務め上げる。2011年、上海万博の日本産業館内料亭「紫」料理長を務め、同年菊乃井本店副料理長に就任。2015年、菊乃井赤坂店渉外料理長となる。シンガポールエアラインの機内食開発やJR西日本「瑞風」のメニュー開発、国際会議や首相官邸での晩餐会の料理を担当。20カ国以上で和食普及のためのイベントに携わり2018年3月、東京・青山に「てのしま」を開店し独立。2019年より、4年連続でミシュラン一つ星を獲得。 — どのような選択を重ねて料理人・林亮平がありますか? 林 亮平(以下 林):大学卒業を見据え普通に就職活動をしている折、「やはり好きなことをして生きていく」と決心したことが料理人としてのスタートです。それから、和食の最高峰である京都にある料亭「菊乃井」に採用して頂き、本店の副料理長まで務めました。 その間、20以上の国や地域で和食を伝えるという機会の他、パリの最高級ホテルプラザ・アテネの「Alain Ducasse(アラン・デュカス)」で日本料理を出したこともあります。面白いことに、各地で出会う料理人は、必ずと言っていいほど数々の“問”をぶつけてきます。なぜ料理をやっているのか、なぜその料理なのか、出身はどこか、なぜ今ここにいるのか。その問いに対して、はっきりした答えがあるからこそ、料理にもそれが現れてきます。いいかえれば、世界で戦うということは、己の本質を表現していくことだと学びました。 和食という料理を通じて、今でも毎日、己の本質を表現していくある意味肉弾戦が続いています。笑 — 20年以上料理の世界に携わり、海の資源の持続性可能性について活動しているシェフの集まり “Chefs...